松本零士 vs 槇原敬之、著作権という考えの誤り。

はっきり言って、クダラナイ話だと思うんですが、当事者の片方が町内の住人らしいので
(でも、見掛けた事無いですけど・・・。)ちょっと思った事を。
松本氏って、宇宙戦艦ヤマトの裁判の時もそうでしたけど、(詳しくはここらに)
ちょっと権利の主張が強いようには感じますね


「自分の書いた作品のを読んでない (知らない)筈は無い」というような事を言ってたらしいのですけど。
そう思ってるとしても、それを口に出して言うのは、ちょっとどうかな、とは正直思いました。
ちなみに私は全然、こういうフレーズがあるという事は知りませんでした。
もっとも、松本氏の作品自体1冊もちゃんと読んだ事も無いのですけれど。


というのは、何処ぞのブログに書いてあったのですが、今回のような論法を展開するのであれば、
同氏の銀河鉄道999などを考えると、「銀河鉄道」という言葉や基本設定自体、
宮沢賢治氏の銀河鉄道の夜を元にしてるのは明らかな訳で、それはどうなるの?
って、私を含め大多数の人は、そう感じると思うんですが。
これは歌詞や台詞にある「夢」「時間」という2つの言葉、概念の組み合わせを含めてと言えると思います。
詳しい経緯は知りませんけど・・・。
70年代当時でも、50年の年代差がありますから、宮沢賢治氏が、当時ご存命だったとしたら
銀河鉄道999を見て、どう思ったでしょうね?彼の業績について詳しい人なら分かると思いますが、
持ってた思想から考えると著作権をを主張するような事が有り得なかったのは、まず間違い無い事ですが。


本人(槙原氏)が、もし何処かで聞いたり読んだりしてたとしても、自分で消化して
新たに生み出した歌詞や文章なら、それはそれで良いのではないでしょうか。
そもそも現代社会に於いて、これだけ情報が氾濫してる中で生活をしているのに
100%完全な創作物なんて、まず有り得ない気がするんですけど。
現在の著作権の考え方自体が、アメリカ型の解釈というか、ミッキーマウス法同様、著作権という名目の元に
創作物によって生じた全てを自分の利益、財産としようとする事自体間違いだと、かねがね思っています。
敢えて、例を例えるなら、


(1)ある公園にある建物、景色の写真を撮影して、それを写真集として販売しました。
その利益は全て、写真を撮影した人のもの?、その建物を設計した人や公園整備をしてる人、
団体へはどうなの?


(2)A氏は子供の頃から、絵が好きで有名、無名な作家の絵、写真などを見て、構図や
色使い等を研究しました。大人になって描いた絵は、全て本人のの創作によるものでしょうか?


例を挙げたらきりがありません。結局は権利を主張した者勝ちという事も言えると思いますが、
これが名誉、名声と言う無形のものだけとしても、あまりにも「あさましい」考えではないでしょうか。
本来こういうった利益の相当分は、社会全体に還元されるべきものだと思うのですけど。


現代の資本主義社会における著作権という概念の定義自体が間違っているからこそ、
こういった無駄な紛争が、次々に引き起こされている気がしてならないのですが。