秋葉原通り魔事件、歩行者天国の実施中止と、マスコミ報道に対する疑問

歩行者天国の中止は、残念な事ではありますが、致し方無いと思います。
ただ、これ以前にも、いろいろな方面において、元々この歩行者天国の実施を
中止させようという動きがあった事は確かなようです。
何が言いたいのかというと、このまま秋葉原歩行者天国が二度と再開しなかった
というような事にならないように、私たちは十二分に動向を監視する必要があるという事です。


今回の通り魔事件にしても、実際その場に居合わせたという方のブログもあり、
それらの内容からするに、どう考えても情報操作、世論誘導と言うしか無いのです。
例えば、

  • 雇用主の製造業派遣業者の名称を一切報道していない(少なくとも全国ネット局において)
  • 同じく、勤務先の関東自動車工業、そしてグループ企業トヨタについても一切触れていない。

これらは、トヨタが大手スポンサーである民放だけならともかく、某公共放送でも全く同じです。
何らかの圧力があるように思えてなりません。

  • 居合わせた人がカメラで撮影していた事の非常識さを誇張する報道、

上記でも書きましたが、その場に居合わせたという方のブログもあり、例えば
「筆不精者の雑彙・秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録」


私も実際ある事件現場に居合わせた事があり、たまたま、個人的に持っていたENG(放送用)カメラ
もあったのですが、とてもではないか、その状況、惨状ではカメラを向けられる状況ではなかった
という事がありました。だから分かるのですが、一般人が実際事件現場でカメラを向けるというのは
並みの度胸では出来無い事です。
裏を返せば、「マスコミ」が事件現場でカメラを回せるのは、「マスコミ」だという事が
非常識さへの「免罪符」であるという事だけに他なりません。


今回にしても、実際現場の中心にいた殆どの人は、とても犯人にカメラを向けるなんて事は
出来なかったと思います。テレビでいくつか流れていた犯人確保の瞬間を撮影してたような人は、
よほどの正義感なり使命感を持った人ではなかったのかと、個人的には信じたいと思います。


本当にそれは秋葉原だったからなのか。他の繁華街だったら、本当に違ったのだろうか。
そして、マスコミ自信が被害者にカメラを向ける事を差し置いて言えるような事なのか、疑問に思います。
現に某テレビ局のスタッフが現場でニヤニヤして談笑している場面を撮影した画像等も出回っており、
真意の程については触れませんが。一番常識が欠如しているのは、
マスコミそのものでは無いかと言われても仕方が無い状況ではないかと思います。


そして犯人の趣味についても、あちこち色々言われていますが、
報道機関、番組によって言っている事、インタビューした人物によってバラバラというか
むしろ何処を誇張して報道しているかの違いといった感じで、とても論じるに値する報道をしていません。
ナイフや車についての趣味にしても知らない人には全く分からない世界ですから、
それを報道する事自体に無理があるという面もあるかと思います。
ロリコンだった、カラオケはアニメの曲ばかりだった、等いろいろ言われていますが、
それが事件の本質と関係するとは思えないのです。
それよりも、もっと他に報道するべき事があるのではないか、と思っているのは私だけでは無いと思う。


事件後設置された献花台でのマスコミの行動の非常識さにも余りあるものがあります。
有名なアキバ系で歌手・声優などで活躍されている桃井はるこさんのブログより
引用させていただきます。ご本人の希望によりリンク先を併記しておきます。
モモブロ http://ameblo.jp/momoi-ktkr/ 08-06-10の内容より

秋葉原の駅に着くと、雨が降りそうな天気でした。
電気街口を出ると、テレビ局のマークがついた車が何台も車道に列になっているのが見えました。
事件が起こされたという交差点の近くまで行くと、その風景はいつもと違いました。
交差点の近くには、沢山の似た雰囲気の人がいました。
腕章や、持っている道具などから、報道関係の人のようです。
その人垣の間から、商店街の方が用意したであろうテントの下に、献花台が作ってあるのが見えました。
それを見つけると、現実が重く圧し掛かってきました。
ここはいつもの中央通りではなく、事件の現場になってしまったんだということを肌で感じました。


わたしは献花台の近くまで行くと「すみません」と声をかけて道を開けてもらおうとしました。
そうすると、次々に声を掛けてくる人に取り囲まれました。
「被害者の方の関係者ですか」「亡くなった方のお知り合いですか」……。
同じことを何度も聞かれましたが、わたしはなるべくご迷惑にならないように、
早くお花をお供えすることしか考えていなかったので、
何も言わず献花台の前でお花の包装を解きました。すると、一斉にすごい数のフラッシュが光りました。
わたしは「写真を撮らないでください」とお願いしました。しかし、わたしがお花を置くと、
また光ります。もういちど「写真を撮るのをやめてください」と言いました。
その後も拝むたびにフラッシュが光るので、何度も「写真を撮らないでください」と言いました。
最後のほうはけっこう大きな声になってしまっていたと思います。
わたしは心をこめて拝ませていただきたかったのです。
でも、チカチカと光をたいてじゃまする人がいます。
手を合わせながら、何度も何度も「やめてください」と言ううちに、涙が出てきました。
わたしは、言うのをやめました。
「こんなに悲しいことがあって、わたしがせめて拝ませていただきたくても、させてもらえないのか。
わたしは本当になにもできない。どうしたらいいのだろうか。」と思いました。
短く拝み、去ろうとしましたが、やっぱり心残りがあり、もう一度振り返り、
心から深く礼をして手を合わさせていただきました。
その時も、カメラを光らせる人がいましたが、もう仕方ないと思いました。
言葉では表現できない、今まで感じたことのない、すごく悲しい気持ちになりました。
とてもとても悲しかったです。
その後も、追いかけてきたり、名乗りもせず「遺族の方ですか」などと何人にも声を掛けられました。
「違います」と言うと去っていきます。ものすごくものすごく嫌な気持ちでした。


事件が起こる前、この場所でお会いして、わたしのことを取材してくださった新聞や雑誌の記者の方は、
優しくて、使命感があって、いい方ばかりでした。
わたしの秋葉原への想いを熱心に記事にしてくださって、おかげで多くの人に読んでいただけて、
後世まで残るんだと、心から感謝しました。
記事の中で、大好きな秋葉原で写真におさまるわたしは、
自分で見ても最高の笑顔をしていると思いました。
でも今日は、同じ場所でカメラを向けられたはずなのに、その時とは全く違いました。
わたしの想い出がどんどん裏返しになっていきます。
すごくすごく悲しくなりました。

上記は、当日の日記の一部です。是非ご本人のブログで全文をご覧頂ければと思います。
マスコミの人達には、社会での自分たちの役割について再度、良く考えて頂きたいものです。


同様な話題を扱ったサイトには以下のようなものもあります。
秋葉原事件で融解した「野次馬」と「報道」の境界(NIKKEI NET)
秋葉原通り魔事件 献花台に群がるマスコミ(アキバBlog)


最後に参考までに、犯人が犯行直前書き込んでいたという携帯電話用掲示板のログがあるサイトです。
事件に疑問を持っている方は、是非実際ご自分の目で確認して下さい。
秋葉原通り魔事件 - 閾ペディアことのは
秋葉原通り魔事件 - 閾ペディアことのは(ミラーページ)